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東京都江東区の歴史
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所在地 江東区猿江2-2-17

 猿江神社
伝承として、昔、康平年間(1058~1065)源頼義が奥州征伐(後三年の役)の頃、この附近の入江に、勇々しき戦武士の屍がただよい着き、不思議にも、其の屍より、毎夜光明を発し村人この屍を叮重に葬る
武士の鎧に源頼義の臣「猿藤太」と記しあり、又、懐中より有難き経文一巻がいでたり、よって村人「猿藤太」の頭文字と入江の「江」をとりて、猿江稲荷と尊称し、近郷近在の守護神となし、村落の敬神の地として仰ぎ奉り、豊作祈願、病気平癒、悪病退散等のこの地の氏神社として祭り、又それより地名をも猿江村と称えはじめ現在に至れり
正に猿江の地名これより発祥せり
尚、当時、この村落の氏神社である猿江稲荷神社は、古来より「天照大御神」「宇迦之御魂神」とを御祭神としていたが武人猿藤太の御霊をも合せ加え、代々お祀り申し上げて参りました 江戸時代は猿江稲荷神社と称し隣接せる、日蓮宗寺院本覚山妙寿寺のじゅうしょくが代々、守護管理を司どっていたが明治以後、近年になり、神保宮司を祭官として招き、合せて村、町、の発展と共に町内氏子の者達が、神社の護持運営にあたり現在に引き継がれた次第であります
お恵み(ご利益)としては、家内安全、病気平癒、商売繁昌、心願成就として霊験あらたかなり
 昭和61年(1986)丙寅8月吉日 文筆者 堀江侯雄




 

 稲荷社

 猿江神社には『猿江地名発祥之地碑』、『水盤』、『石造燈籠』、『藤森稲荷神社』、『馬頭観音社』があります。
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