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東京都江東区の歴史
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所在地 江東区亀戸9-15-7 (亀戸浅間神社)

 亀戸の富士塚
 富士山を信仰の対象とする富士信仰は、江戸時代後期には「江戸八百八講」と呼ばれるほど多くの富士講を誕生させました。そのため、各地には富士山を模した富士塚が多数築かれ、講員はそれに登って富士登山の代わりとしました。
 亀戸の富士塚は、弟橘姫の笄塚と伝えられている従来からあった塚を再利用する形となっています。頂上部は広く平坦に整地され、そこに浅間神社が富士山の方向(西南)を向いて鎮座していました。塚の側面は溶岩(黒ボク)で覆われ、山腹の正面(西南側)及び左右側面には、登山道に見立てた石段があり、麓にかけて石碑が23基、石猿が2体附属しています。このうち左側石段脇の烏帽子岩、左側面上部にある小御岳山碑、右側面石段脇の経ヶ岳碑の3碑は、当所の位置からは動いていますが、実際の富士山と共通させた「名所石」で、富士塚の構成上重要な石造物となっています。そのほかの石碑は、当地で活動していた富士講のひとつ丸富士講のもおで、明治以降の年号が彫ってあります。丸富士講は、亀戸・大島・南堅川(以上江東区)・柳原(千代田区)・向島(墨田区)などの講員から成り、その活動は太守時代頃まで続けられました。
 平成9年(1997)、東京都によう亀戸・大島・小松川地区再開発事業に伴い、塚上にあった浅間神社は隣接地に移転しました。
 平成13年(2001)3月 江東区教育委員会

 





 



 











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