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東京都江東区の歴史
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所在地 江東区森下1-3-17 (深川神明宮)

 深川七福神
  
  寿老人



 この辺一帯は、慶長年間(1596~1614)に摂津国(大阪府)の深川八郎右衛門ほか6人が新田を開拓し、八郎右衛門の姓をとり深川村と名づけられた、深川村発祥の地です。八郎右衛門は持地内の小祀に神明を勧請したと伝えられ、これが深川神明宮です。
 のち、現在の新大橋・常盤・高橋・森下・猿江・住吉あたりの開拓が進み、八郎右衛門は代々名主をつとめました。
 深川七福神のひとつ(寿老人)として親しまれています。




  由来記 碑

 今カラ凡ソ四百余年ノ昔深川ノ地ハ、葦ノ茂ル三角洲で住
ム人モ無カッタ ソノ頃深川八郎右衛門ト云ウ人ガ一族ヲ引連レコノ一帯ヲ開拓シタ 八郎右衛門ハ敬神ノ念篤ク、崇敬スル伊勢皇大神宮ノ御分霊ヲ奉齋シテ、開拓民ノ福祉ト当地ノ発展ヲ祈願シタノガ深川神明宮ノ初メデアル ヤガテ徳川家康公ガ江戸ニ入府、慶長元年当地ヲ巡視シ八郎右衛門ヲ召シテ地名ヲ尋ネタ 未ダ住ム人モ少ナク地名モ無キ由答エルト、家康公ハ八郎右衛門ノ姓「深川」ヲ以テ地名トセヨト命ジタ 深川ノ地名ノ起コリハ、神明宮ノ鎮座スル実ニ此ノ地ナノデアル
 爾来深川ノ地ハ江戸ノ繁栄ト共ニ発展シ、当宮モ「深川総鎮守神明宮」ト称エラレ、多クノ崇敬ヲ集メルコトトナッタ ソノ間ニハ震災戦火ノ大キナ災禍ガアッタガ、氏子万民ノ赤誠ヲ以テ昭和43年(1968)ニ御社殿御造営モ成リ、衆庶ノ崇敬益々旺ンデアル
 今般、郷土和楽万民繁栄ヲ祈念シテ御鎮座四百年祭ヲ齋行スルニ当タリ、今日ノ繁栄ノ礎ヲ築イタ郷土ノ先人ニ感謝シ、当宮ノ由緒ヲ茲ニ記ス
 平成9年(1997)8月吉日
 深川神明宮宮司 内野成浩 謹撰
 神宮禰宜      藤井昭彦 謹書





     深川神明宮末社 和合稲荷神社
  御由緒
古くは御神域内の各所に各々にお祭りしていた 左の十一柱の神々を昭和に入って末社として合祀し、和合稲荷神社となった
  御祭神と御神徳
和合大神 伊邪那岐 伊邪那美のニ神
 夫婦和合の妙徳により万物修理固成せり
稲荷大神 宇迦御魂大神
 御神徳は五穀豊穣 商売繁盛なり
浅間大神 木花開耶姫
 霊峰富士の山に鎮まる神なり
厳島大神 一杵島姫神
 芸道富有を司る弁天さまなり
疱瘡大神 建速須佐之男神
 疱瘡を初め病流行の守護なり
鹿嶋大神 武甕槌神
 国土平定のとき尚武の守護なり
大国大神 大国主大神
 御神徳は健康守護なり
御嶽大神 少名毘古那神
 禁厭祈祷 医薬の道をも講せらる
金比羅大神 大物主神
 水に関する守護なり
道祖大神 猿田彦神
 道路を司り旅行安全の守護なり
北野大神 菅原道真公
 御神徳は学業成就なり

 平成19年(2007)5月3日 深川神明宮社務所
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