東京都江東区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 江東区千田12-8 宇迦八幡宮 今より遡る事240年の昔此の辺りは海辺にして豊葦原の其の名の如く葦の葉繁る干潟にして江戸中の塵芥を以って築地となし10万坪築地と申されたり 享保年間近江の国の人千田庄兵工氏此の地に来り時の幕府徳川8代将軍吉宗公に願い出で此の土地を開拓せんと3年の長さを費して村造りを■めない其の氏をとって武蔵国南葛飾郡千田新田と名付けらる 後に寛政年間全体が一橋家の領地となったので一橋領10万坪とも称えたり 当時社はその当時小さな祠であったが千田庄兵工敬神の念篤く社殿を造り千田稲荷神社と称し土地の産土神としてあがめらる たまたま土地に穀物の実らざるを嘆き当神社に祈願を籠め神霊のお告げを受けてこれに代うるに片栗を栽培しえ農民の飢餓を救ったという古き伝説の故を以って一名片栗八幡宮とも称う 入母屋権現造り総桧銅板葺きの豪壮華麗なる社殿は戦災に依り焼失するも昭和27年(1952)7月戦前と同型同様の社殿を建設し昭和27年(1952)1月25日附神社本庁統理の承認を得て社名を宇迦八幡宮と改称す 宇迦八幡宮 宮司 菅原光雄 宇迦八幡宮には『石造六角宝塔』、『軍馬盛敬號之碑』があります。 所在地 江東区千田12-8 (宇迦八幡宮) 軍馬盛敬號之碑 軍馬盛敬號ハ元騎兵伍長榊原平三氏ノ乗馬タリ同氏ハ明治卅78年日露戦役中選ハレテ永沼騎兵挺進隊ニ参加ス挺進隊ハ特別任務ヲ帯ビ敵線内ヲ潜行■ク敵ノ背後ニ侵出明治卅8年2月11日夜長春南方新開河ノ鉄橋ヲ爆破シ第一ノ目的ヲ達成シ得タルモ大砲二門ヲ有スル敵ノ急追ヲ受ケ2月14日夜張家窪子附近ニ於テ之ヲ逆撃シ月下ニ格闘戦ヲ開始シタリ盛敬■ハ其戦闘中鼻頭ニ大傷ヲ蒙リシモ屈セス奮戦中腹部ニ敵弾ヲ受ケ遂ニ斃シタリ軍馬ト雖モ長期ノ劇シキ行動ニ堪ヘ困苦欫乏ヲ忍ヒ能ク其任務ヲ全フシ君■ニ盡セル霊ヲ慰ムル為メ明治41年10月有志相謀り碑ヲ御影堂境内ニ建立セリ大正12年9月大震災ノ際破壊シタルニ依り戦役当時ノ挺進隊長永沼秀文閣下ニ題字ヲ請ヒ茲ニ復旧セルモノナリ 昭和7年(1932)10月 有志 |
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永山
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