東京都江東区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 江東区森下 江東区登録史跡 五間堀跡 五間堀は小名木川と堅川を結ぶ六間堀からわかれる入堀です。五間堀という名称は川幅が五間(約9m)であるところから付けられ、六間堀とともに江戸時代から重要な水路でした。 五間堀の初見は寛文11年(1671)の江戸図で、六間堀とともに記載されており、五間堀が開削された時期は、明暦の大火(1657)によって付近一帯の再開発がなされた万治年間(1658~1660)ころか、それ以前と考えられます。 五間堀は江戸時代には富川町(森下3)までで堀留となっていましたが、明治8年(1875)、付近の地主であった元尾張藩主徳川義宜により掘りすすめられ、明治10年(1877)ころに小名木川まで貫通しました。 昭和11年(1936)・昭和30年(1955)の2度の埋め立てにより、現在、五間堀は全て埋め立てられています。 平成12年(2000)3月 江東区教育委員会 PR |
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永山
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