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東京都江東区の歴史
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所在地 江東区深川2-16-27 (陽岳寺)

 観嵩月墓
 江戸中期の画家観嵩月は名を常雄といい、宗行子蓑虫庵、景訥と号していた。彼は深川六軒堀(江東区深川常盤町)の材木商筑島屋坂本米舟の子として生まれ、英一蝶の門人高嵩谷の弟子となって幾多の名作を残している。父の坂本米舟は芸術に深い理解を有した。緒方乾山は余生を彼の家で過したという。
 観崇月は父の精神に影響されて画家となり、名を成したが、枯れの作品例としては豊島区雑司ヶ谷鬼子母神堂の「狂言末広狩」の扁額が現存している。天保元年(1830)11月20日、年72で死去した。
 昭和43年(1968)3月1日建設 東京都教育委員会


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