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東京都江東区の歴史
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所在地 江東区亀戸3-6-1 (亀戸天神社)

 梅松両社落成記念三翁句碑
正面   面のまゆむすひあぐるや松花
       三祖 浪華旧徳椎木才麿
左側面  香の風やあるしかしこしむめの花
       二祖 難波松寿軒井原西鶴
右側面  神松や千とせちかくもわかみとり
       七祖 玉池谷素外
 文化8年(1811)に御本社前の紅梅殿と老松社の社が再建された記念に建立されたものです。この両社とも、先の戦火に羅り焼失いたしましたが、紅梅殿は昭和62年(1987)の当宮御鎮座325年に当りこれが記念に心字池の西の畔に再興されました。 


所在地 江東区亀戸3-6-1 (亀戸天神社)

 文房至宝碑
中国より渡来した紙筆墨硯は文房四宝と称せられ読み書き算盤の寺子屋時代から明示の学制発布により高い文化を育てる文具として大きく貢献をしてきた
今や文房具はOA機器にいたる迠その範疇を広げ四宝から至宝に至って戦後の日本国を世界の大国に復興せしめた教育の原動力となった11月3日(文化の日)を文具の日と定め平成2年(1990)11月12日天皇陛下御即位を記念して全国業者相寄り東宰府亀戸天満宮の境内に文房至宝の碑を建立する
 平成2年(1990)11月吉日 文具資料館


所在地 江東区亀戸3-6-1 (亀戸天神社)

 洋傘骨材開発者 河野寅吉の碑
不詳 洋傘骨の元祖河野寅吉氏安政5年(1858)越後國西蒲原郡大澤村に生る父は江戸に来り鍛冶を業とす君年七歳にして父を尋ね江戸に至り其家業を励む明治11年(1878)君年二十二会洋傘骨の輸入盛んなるを見て慨然悟る所あり之が政策を試み其術を得んとす欲す乃ち宇都宮に赴き刀鍛冶の雇工とんり丸骨製造應用の秘法傳習を得て而も家貧しく資力給せず是に於て横須賀造船所の職工と為る時に年二十九官其技術を愛し伍長に抜擢し切に勤続を奨む君宿志尚堅く固辞して其職を罷む復び貧に甘んじ奮て溝折受骨制作を研究する三年其製品大に世に用ひらる其得る所を挙げ資金を為し力を溝親骨製作に竭す五年を歴て始めて成る是に至り費額夥しく負債往日に倍蓯し窮迫甚し君屈せず益鋭意品質精良を究め遂に斯業今日の隆盛を致せり大正4年(1915)9月君病を冒し福島工場に赴き躬ら機械据付の事を執る病遽に掻革り是月二十四日終に起たず享年五十八配鳥海氏袖子内外を助け辛酸を嘗め婦徳を全うす徒弟露崎春吉を養子とし女梅に配し嗣と為し其業を続ぐ君性物理発明の才あり傘骨錆止塗料ニス或はテレピン油或はフレオソート等新案に係るもの尟しとせず皆敢て官の特許を受けず獨其利用を擅にせず之を世上に頒たんと欲す其平生概此の如し東京洋傘骨製造業組合諸氏君に庇頼する所多大なりと為す追慕愈深く首唱して廣く同志を集め碑を建て君の功績を紀し不朽を謀る文を予に属す嗚呼君百折不撓孜孜として懈らず身を斯殖産工業に致し殊勲を垂れ後進に益す報效を國家に竭したりと謂う可し世の一般實業に志すもの君の風を聞き亦安んぞ奮励せざる可かんや是に於てや敘す
 大正5年(1916)5月


所在地 江東区亀戸3-6-1 (亀戸天神社)

 洋傘骨材開発者 河野寅吉彰徳碑
  碑誌
河野寅吉氏安政5年(1858)生
洋傘溝骨製造技術開発の祖大正4年(1915)歿その紀功碑震災戦禍に遭い保全己に難なり時■明治100年乃ち有志発願し茲に之を再建す旧碑は原形を縮少し併設したり
 以て銘す
草創は無なり到境は無限なり探求と断絶の間■心切切敢として條件の限界を超克洋傘骨産業史に黎明の灯をかかぐその開業精神千古に凛たり爰に先緒を後世に顕彰し斯業発展の永遠の道標と為さんと也
 昭和戊申五月 隆撰  南谿書


所在地 江東区亀戸3-6-1 (亀戸天神社)

 紅梅殿
御本社と時を同じくして寛文2年(1662)に太宰府天満宮の御神木「飛梅」の実生を勧請し、社殿前に奉斎したのを起源とし、昭和63年(1988)に現在地に再建される。


所在地 江東区大島7-24-1 (東大島神社)

 水神宮
 宝暦11年(1761) (旧小名木神社奉斎)
 御祭神
筒能男之神(つつのおのかみ)
  航海・進路を護る神様






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永山
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