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東京都江東区の歴史
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所在地 江東区大島3-31-7 (亀出神社)

 草分稲荷神社
 草分稲荷については徳川初期現在の大島1丁目37番(釜長のならび)付近の草むらの中に小さなほこらが建てられていたと伝えられ、昭和のはじめまでは付近住民が旧初午の日に寄付をもちより祭礼を行ってきたと語り継がれているものである。
 往昔南葛一円の地は徳川幕府による禁領地であり、常時番人をおいて厳重に見張りをし、明治維新まで続いていた。現在の大島2丁目付近には鷹狩に使われる鴨池があり、御用屋敷と呼ばれるものが散在していたという。たまたま徳川3代将軍家光がこの池に遊猟の際、草繁き狩場で路にまよったところ、その道案内にたったのがこの稲荷であるともいわれている。稲荷神社は『うがのみたまのみこと』を祭神とし、食物一切つかさどる神とされている。城東地区はもともと農業地域であったことから稲荷社がかなり多いが、1596年から1688年の頃がもっとも多く、徳川2代の秀忠から5代綱吉にいたる頃といえよう。
 その後祀るものもないままに、さらに墓地改葬があり、土砂、雑草に埋もれかえりみられなかったが、ここに城東区役所が移ることになって、その新築工事が進むにつれ、ほこらと堀り出され業者によって庭の一隅に安置された。昭和15年(1940)区役所がここに移転するや、庁内の有志がほこらを復建し毎年ささやかな祭をしてきた。
 昭和16年(1941)頃この社が香取神社宮司の夢枕にたち『火難』があるかもしれないから後世大切に祀るようにとのお告げがあったと伝えられている。
 昭和48年(1973)4月、江東区区民センター建設に伴い亀出神社の境内に区長並びに香取宮司立合いの上遷座したものである。
 
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