東京都江東区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 江東区亀戸4-35-12 (宝蓮寺) 正木ひろし墓碑
弁護士、正木ひろし(旲)は、1896年(明治29年)9月29日、東京・本所で義氵旲よしきよの二男として生まれる。1923年(大正12年)東京大学法学部を卒業。中学の英語、美術の教師、雑誌記者を経て弁護士を開業。反権力、正義の弁護士として多くの冤罪事件を手がけ、日本のペリーメイスンといわれた。主な事件は、チャタレー裁判、菅生、首なし、丸正事件などで、八海事件は「真昼の暗黒」の題名で映画化された。
また、戦時中は月刊誌「近きより」を個人で発行して反戦、反軍国主義の論陣をはり、多くの著書も残した。熱烈な無教会派のキリスト徒で、美術を愛し画家になることが「生来」の夢だった。1975年(昭和50年)没79歳。当寺は正木家の菩提寺。墓碑の「正木ひろし」は直筆で、墓石は岩手県の橋本八百二画伯から寄贈された紅石である。正木ひろし先生没後20周年記念事業の一環として、ここに建立する。 1995年(平成7年)1月 施主 広島市 朝川広男 和光市 菊地清孝 同 菊地文代 PR |
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永山
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男性
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