東京都江東区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 江東区大島5-39-26 大島稲荷神社 鎮座地 (旧)東京府武蔵國南葛飾郡大島村 東京都江東区大島5丁目93番地 神社名 大島神社 大島稲荷神社 御祭神 京都伏見稲荷大社の御分霊 合祀神社 宇迦能魂神(浅草光月町立花公の邸内社芸術、俳句) 迦具土之命(愛宕神社、延命長寿) 境内社 佐竹神社(神官、学問) 御由緒 和銅4年(707)元明天皇大和朝廷時代(蒼稲魂神)が轟く雷鳴とともに、2月初午の日、初めて伊奈利山の験の杉に降臨してから、稲荷信仰として始まると云う。朱雀天皇の天慶5年(蒼稲魂神)に正一位という最高の神位階に昇られました。明正15年江戸時代ご創建と当神社伝えられる。由来同地は、海辺又は小名木川より近く、数度の津波等により、耕地の荒廃甚だしきため、又悪疫もはやり、村人相謀りて山城の國、伏見なる稲荷の御分霊を此の地に、奉還して産士神として、災を除き、衣、食、住、福を授け家内安全、出世開運あらゆる産業の大祖神として、御神威高く輝き大島神社と称え、爾来開拓國造営の守護神のご神徳が果しなく拡がり続いて、しかも、如何にご利益或るかを強く物語るもので、崇敬拝厚きも深く受、鎮守様として仰がれたり。 俳人 松尾芭蕉 句(秋に添て 行はや末は 小松川) 俳人 小林一茶 句(水売の いまきた顔や 愛宕山) 小林一茶が詠んだ地は大島稲荷神社 信州大小林講師が「水売」の句で推定 享和3年(1803)7月7日 かぢの音は耳を離れず 星今宵 七夕の相伴に出る川辺哉 享和句帖3年9月19日の条に稲荷祭とあるのは当神社の御祭礼の事である 水売のいまきた顔や愛宕山(文政2年〔1819〕) 当地大島あたり飲水が悪く小名木川を水売り船が往来し、水だ水だと一軒一軒に水売にきていた事が伝えられている。 (懐かしき大正時代 江東大島の思い出) 大島稲荷神社には『女木塚碑』、『松尾芭蕉句碑』、『松尾芭蕉像』、『石造狛犬』、『佐竹神社』、『出世開運牛』があります。 PR |
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永山
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