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東京都江東区の歴史
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所在地 江東区亀戸9-15-7

 亀戸浅間神社
 亀戸浅間神社は、社伝によれば大永7年(1527)に創建されました。祭神は木花咲耶比売命です。もともとこの辺りの地は高貝洲と呼ばれていました。これは日本武尊が東征した時に海が荒れ狂ったため、弟橘媛が海に身を投じ、その際に身につけていた笄が亀戸浅間神社のあるあたりに流れ着いたことによるものです。のちに景行天皇(第12代と伝えられる)がその地に笄塚を建てたとされています。この笄塚の場所に富士塚が築かれ、江戸時代には多くの信仰を集めました(境内「亀戸の富士塚」文化財説明板を参照)。
 本殿は安政2年(1855)の江戸大地震、大正12年(1923)の関東大震災で被災しました。現在の本殿は昭和初年(1926)に建立されたもので、平成10年(1998)の大島・亀戸・小松川防災再開発事業にともなって、今の位置に移動しています。境内には亀井殿富士塚や享和元年(1801)在銘の富士せんげん・亀戸天神・六阿みだ・あさくさ道道標(いずれも区指定有形民俗文化財)など数多くの文化財が残されています。また、かつて神社境内のそばを通っていた城東電気軌道の線路も残され、関東最大の茅の輪を作る(茅の輪くぐり)神事が年2回行なわれるなど、買えど東部地域の歴史や民族を伝える鎮守として、人々の信仰をあつめています。





 亀戸浅間神社には『富士せんげん道道標』、『亀戸の富士塚』、『六ツ目地蔵尊』、『敷石及修繕費奉納碑』、『水盤』、『たのみの辞碑』、『記念碑建設費奉納碑』、『石造燈籠(一)』、『石造燈籠(ニ)』、『石造鳥居(一)』、『石造鳥居(ニ)』、『石造鳥居(三)』、『修庭記碑』、『身禄歌碑』、『新築木材一式奉納碑』、『神輿庫』、『城東電車のレール』、『下浅間神社』、『稲荷神社』があります。
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