東京都江東区の歴史
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所在地 江東区富岡1-20-3 (富岡八幡宮) PR
所在地 江東区富岡1-20-3 (富岡八幡宮)
所在地 江東区富岡1-14
深川公園は、明治6年(1873年)太政官布達によって定められた日本最初の公園の一つです。
所在地 東京都江東区富岡1-17-13
真言宗
江戸時代、中でも元禄年間(1688~1703)は江戸町人を中心として不動尊信仰が急激に広まっていった。この背景には、経済・商業の中心地としての江戸、またそれを支える町人の経済力の飛躍的な増大が大きな原動力になっていた。
所在地 東京都江東区富岡1-15-1
国指定重要文化財(建造物) 八幡橋(はちまんばし)は、東京市で最初に架けられた鉄橋である。長さ15.2m、幅2m、単径間アーチ橋の形式をとる。アーチは鋳鉄製で五本の直材をつなぎ、その他の引張材は錬鉄製の鋳錬混合である。 現存する鉄橋としては最古に属するものであり、また、菊の紋章のある橋としても有名である。鋳鉄橋から練鉄橋に至る過渡期の鉄橋として、近代橋梁史上貴重なものであるとともに、独特な構造手法を用いて施工してあり、技術史の上でも価値の高い橋である。 江東区教育委員会
新田橋(にったばし)は、大横川(旧大島川)に架かり、江東区木場5丁目から木場6丁目を結ぶ、町の人びとの暮らしを支え続けてきた小さな橋の人道橋です。
<旧新田橋 諸元>
橋梁形式 一径間ワーレン鋼構橋 ※ 塗装色は護岸工事により架替えられるまで赤系の色が塗られ赤い橋としても親しまれた。
所在地 江東区富岡1-17-13 (深川不動堂)
抑々内陣十六講とは、成田不動信仰十六講社の連合講社にして結成110有余年の歴史を誇り、成田山講社認証第4号なり。
< 成田山内陣十六講 >
所在地 江東区富岡1-17-13 (深川不動堂)
所在地 江東区富岡1-17-13 (深川不動堂) 享年60歳 9代目市川団十郎と並び称された 幕末から明治にかけての名優であり「団十郎名人・菊五郎上手」 などといわれていました。
所在地 東京都江東区富岡1-14 (深川公園)
附 陣幕(じんまく)・不知火(しらぬい)顕彰碑二基 日月石(じつげついし)寄附碑 地固め寄附碑 土台石垣 魚かし石柱二本 土台下玉垣 第十二代横綱 陣幕久五郎(相撲博物館 蔵)
この横綱力士碑は、横綱の顕彰と相撲の歴史を伝えるため、江戸時代最後の横綱第十二代陣幕久五郎が中心となり、明治33年(1903年)に建てられました。重量は約五千五百貫(約20t)あり、初代明石志賀之助からの歴代横綱の名が刻まれています。
古くから庶民に親しまれてきた相撲は、江戸時代には幕府公認の勧進相撲(寺社修復などを目的に実施)へと発展し、大坂・京・江戸で興行として開催されました。幕府がはじめて江戸での勧進相撲を認めたのは、貞享元年(1684年)の富岡八幡宮境内でした。その後、明和年間(1764~1771)には、春・秋二場所のうち一場所がこの地で開催され、享和元年(1801年)までに本場所31回を数えました。その意味で、富岡八幡宮は江戸勧進相撲の発祥地といえます。
偉容を誇る横綱力士碑は、同時期に建てられた陣幕久五郎顕彰碑
平成16年(2004年)2月 江東区教育委員会
所在地 江東区富岡1-14 (深川公園) 園女花仙櫻之碑 園女は伊勢の人気師■乃女■■■■■ 斯波一有の妻は玉蕉門に■名高く 宝永二年江戸■来り深川■■■享 保十一年に十三歳にして歿■歌仙 ■■彼■女が■徳の頃三十六■を ■植せるに■■宝暦五年二世園女 少し班象が植え足し歌■櫻■■■縁 碑■建■更■大■四年植え継ぎ■ の十二年の震火災■焼失し又■に 三十六種類を撰み■之■植え■■ 昭和六年四月 題字 九十二翁子爵澁澤榮一 七十三■■藤■■書 所在地 江東区富岡1-20-3 (富岡八幡宮) 木場の角乗りの碑 木場の角乗りは300余年の昔徳川幕府から材木渡世の免許を与えられた業者の木材を扱う川並の祖先の余技として進展し若者の技術練磨の目的を以て今日に傳わるものである 其の間明治初年(1868)三島警視総監時代水防出初式に始めて浜町河岸で披露又グランド将軍が来朝の際上野不忍の池にて催し後須賀に於て軍艦進水式の折り、明治天皇の天覧の栄を賜る 其の後濱離宮や両国橋開通式の祝事に披露されて来た 第二次世界大戦により中断したが戦後有志相倚り東京木場角乗保存会を設立し昭和27年(1952)9月東京営林署貯木場に於て披露し同年11月3日東京都文化保存條令に基き都技芸木場の角乗りとして無形文化財に指定された 昭和39年(1964)10月3日 東京木場角乗保存会建立 石井玉泉書 理学博士 本田正次書 記念碑建設者 会長 飯高勝 諸星信二 加藤忠次郎 中村傳 小安四郎 小川八十吉 川藤勝太郎 相談役 花村源之助 相談役 時友豊吉 相談役 大塚為之助 伊藤新太郎 鈴木喜一郎 細田昇一 谷川栄吉 青山米太郎 平田政子 中村亀市 石川金蔵 宇田川栄一 後藤仲太郎 村田慶太郎 井川國蔵 池田市男 棟田キン 和田栄吉 笈川徳三郎 高山義房 伊藤弁吉 榎本一夫 林栄次郎 宮井登 坂口佐内 後藤常之 白井儀三郎 飯高酒造蔵 昭和39年(1964)10月3日 建之 所在地 江東区富岡1-14 (深川公園) 江東区指定有形文化財(建造物) 石造燈明台 明治三十一年在銘 一基 平成19年(2007)指定 日清戦争(1894~1895)の勝利を記念して、深川不動堂の境内南東地に建てられました。明治28年(1895)12月に起工し、明治31年(1899)7月に竣工しました。高さ839.4cm、最大幅373.4cmの大きな燈明台で、内部煉瓦造り、外壁には安山岩の石板が貼られています。設計及び監督技師の佐立七次郎(1856~1922)は、工部大学校造家学科(現東京大学工学部)の第一期生でジョサイア・コンドルに師事した日本近代建築家の1人です。成田山新勝寺にもほぼ同形状の燈明台(明治27年〔1894〕竣工)が現存します。 外壁には奉納者・奉納団体が刻まれた石板が359点貼られています。奉納者には「団菊左時代」を築いた9世市川団十郎、5世尾上菊五郎、初世市川左団次をはじめとする歌舞伎役者や常磐津などの芸能界、土木実業組合や東京石工組合、東京株式取引所などの実業界、また魚河岸、船頭、吉原・洲崎の遊郭や割烹料理屋などがみられ、深川不動堂が幅広い人々によって信仰されていたことがうかがえます。就航当初は上部に八角の火袋がありましたが関東大震災により倒壊しました。平成19年度に区指定有形文化財に指定され、平成20年(2008)に現在地に移設されました。 平成21年(2009)9月 江東区教育委員会 竣工当時の石造燈明台(成田山東京別院深川不動堂所蔵) |
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