所在地 東京都江東区富岡1-17-13
真言宗
成田山 東京別院 深川不動堂
江戸時代、中でも元禄年間(1688~1703)は江戸町人を中心として不動尊信仰が急激に広まっていった。この背景には、経済・商業の中心地としての江戸、またそれを支える町人の経済力の飛躍的な増大が大きな原動力になっていた。
このような時期、成田山新勝寺は信徒数も増え、また寺格も、より高い本山へと大きく発展していく。そのような時江戸町人を中心に成田山のご本尊、不動明王を江戸で参拝したい、という気運が高まり、ついに元禄16年(1703年)4月に初の江戸に於けるご本尊の出張開帳(江戸出開帳)が行なわれた。以来、出開張のたびに、その様子が錦絵に描かれ出版されるほどになりました。当時は犬公方と知られる5代将軍綱吉の治世、その母桂昌院が成田山の不動明王を江戸での参拝を希望し実現したという説もある。
成田山出発の総勢は300人を超える行列が組まれ、江戸まで1週間余りかけてご本尊が奉持され、2ヶ月にわたる開帳は江戸町人に大きな人気を博し、この開帳の場所が深川永代寺境内であり、これが深川不動堂の始まりである。
明治になり神仏分離令により永代寺は廃寺、境内は深川公園となり、明治2年(1869年)に現在の地に「深川不動堂」の正式名称が認められ、成田山不動堂新勝寺の出張所として明治11年(1878年)当地に遷座され、明治14年(1881年)には本堂が完成するも関東大震災(1923年)・第二次世界大戦と二度に亙り本堂が焼失、しかしながらご本尊は奇しくも災禍を免れた。
昭和26年(1951年)に当時千葉県印旛沼のほとりに建っていた龍腹寺{文久2年(1862年)建立}を深川に移築し復興、現在の本堂になっている。
江東区最古の木造建築としてその痛み著しく、平成3年(1991年)大改修を施行し、平成14年(2002年)開創300年を記念し内佛殿が建立され、東都随一の不動霊場として山容を整え一層の活況を呈している。
深川不動堂境内には『成田山内陣十六講』、『五代目尾上菊五郎の碑』、『石不動』、『』、『』があります。
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