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東京都江東区の歴史
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所在地 江東区永代・清澄・佐賀・門前仲町・富岡の一部

 江戸時代の初め、隅田川の河口付近に深川猟師町が開けました。これは、現在の清澄・佐賀・門前仲町・富岡あたりになります。
 寛永6年(1629)、摂津(大阪府)方面から来た8人の猟師たちが幕府に願い出て、汐除堤の外の干潟になっているところを埋め立て、自分たちの名前をつけた8つの町をつくりました。その時の町名は、弥兵衛町・次郎兵衛町・藤左衛門町・親兵衛町・利左衛門町・助十郎町・彦左衛門町・助右衛門町で、これに大島町を加えた9カ町をあわせて深川猟師町と呼びました。元禄8年(1695)、町名を清住町・佐賀町・相川町・熊井町・冨吉町・諸町・黒江町・大島町と改め、8カ町となりました。やがて、深川の猟師町にはその他の町も含まれるようになり、昭和の中頃まで漁業や海苔の養殖を続けていました。
 平成4年(1992)3月  江東区教育委員会


                       本所深川絵図(嘉永5年尾張屋板)
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