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東京都江東区の歴史
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所在地 江東区北砂5-20-16 (亀高小学校付近)

 松平冠山屋敷跡
 松平冠山(本名池田定常)は、明和4年(1767)旗本池田政勝の次男として生まれ、安永2年(1773)7歳で因幡国鳥取藩(島根県)の支範若桜藩(西館家・鉄砲洲家)2万石の家督を継ぎ、第5代藩主となりました。冠山は、5歳のころより地理を好み、14歳にして江戸の地名をいろは寄せにして1冊にまとめるなど、早くから学問に興味を持ち始め、儒学者の佐藤一斎に学ぶこと40年に及んでいます。生涯の著述は『江戸黄檗禅刹記』や『浅草寺誌』等約70種を数えますが、現存するのはわずか15種ほどです。
 文政12年(1829)62歳のとき江戸大火により鉄砲洲(中央区)の上屋敷が被災し、膨大な蔵書と原稿の大半を失ってしまい、亀高村の下屋敷(4千坪)に転居します。ここでの冠山は質素な生活を送りましたが、『江戸名所図会』等に序文を求められるなど、当時の著名な学者大名毛利高標(佐伯藩)・市橋長昭(仁正寺藩)とともに「文学三侯」と並び称されました。
 天保4年(1833)67歳で没し、墨田区弘福寺(黄檗宗)に葬られています。
 平成12年(2000)3月 江東区教育委員会








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