東京都江東区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 江東区深川2-22-5 (正覚寺) 江東区指定有形文化財(古文書) 東都三十三間堂旧記 平成19年(2007)3月26日指定 「東都三十三間堂旧記」は、元禄13年(1700)深川に再建された三十三間堂に関する記録です。1番から7番と付録の8冊で構成され、現在は6冊に装丁されています。堂守(堂司)をつとめた鹿塩久右衛門家に代々伝わってきましたが、火災のたびに水をかぶり傷んだため文政3年(1820)に新たに書き写されたものです。 内容は、火災や風雨によって破損した堂宇の再建や修復に関する願書のほか、堂守の鹿塩久右衛門が三十三間堂町の名主をつとめていた関係から、三十三間堂町に記録も含まれています。 歌川広重「東都名所 深川三拾三間堂」(江東区深川図書館所蔵) 東都三十三間堂は、京都の三十三間堂(蓮華王院)を模して、寛永19年(1642)に浅草(現台東区)に建てられました。元禄11年(1698)の大火によって焼失し敷地が召し上げられたため、代地を深川に賜り再建されました。柱間の数して三十三間あり、弓術の練習や競技の場として西側に射場が設けられ、堂の端から端まで矢を射通す「通し矢」が行われました。明治5年(1872)に壊された時、本文書は本尊とともに正覚寺に移管され、関東大震災や戦災の被害を免れて現在に至っています。 深川を代表する名所である三十三間堂の様相を詳しく伝え、かつ災害を乗り越えて区内の伝えられた貴重な史料です。 平成20年(2008)3月 江東区教育委員会 PR |
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永山
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