東京都江東区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 江東区亀戸1・6~大島2・3 五之橋(五の橋) 五之橋の下を流れる堅川は、万治2年(1659)本所築立奉公であった徳山五兵衛重政及び山崎四郎左衛門が、大横川、横十間川と共に新田開発を目的として開削した用水路であった。 堅川の開削に合わせ西の方から、一之橋を始めとして5つの橋が架けられた。当時この付近は、畑地が多く、人の往来も少なかった。 御府内備考によれば、「御人用無益之場所」として、貞享元年(1684)、本橋は取り払われ船渡しとなったと言われている。 元禄8年(1695)、五百羅漢寺が建立されたため、この渡しを利用する者も多くなり、「羅漢の渡し」や「五ツ目の渡し」と呼ばれ人々に親しまれてきた。 その後、明治12年(1879)に本橋が架けられたが大正12年(1923)の大震災により落橋した。 震災復興により昭和3年(1928)本橋は銅橋に架け替えられた。 戦災にも耐えた本橋は老朽化には■■■、昭和50年(1975)再度架け替えられた。 親柱は震災復興記念として現在も残されている。 亀戸、大島地域の発展に大きな役割を果たしたこの橋は、昭和63年(1988)東京都著名橋に指定された。 平成4年(1992)3月 PR |
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永山
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