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東京都江東区の歴史
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所在地 江東区猿江2-16先

  釜屋堀子育地蔵堂
 大島橋が最初に架けられたのは、元禄13年(1700)で、場所は今より南の横十間川が小名木川に合流するところであった。小名木川に沿っていた行徳道をつなぐ役割を果たしていた。現在地に移されたのは、昭和2年(1927)7月のことである。
 この付近は、かつて鋳物師の釜屋六右衛門・七衛門の工房があり、多くの名作が生み出された。五百羅漢寺(大島4丁目付近)への参詣の道でもあり、釜屋堀子育地蔵堂には、「五百らかん道標」(文政12年〔1829〕)が残っている。








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