東京都江東区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 江東区亀戸6-1 旧千葉街道跡碑 江戸時代、千葉方面へ向かうには、「元佐倉道」と呼ばれた、旧千葉街道が重要なルートでした。今では堅川の北岸沿いに通じるひっそりとした細い通りです。 この旧千葉街道は、本所から堅川の北岸に沿って東に進み、中川を逆井の渡しで越えて西小松川から一直線に小岩の関所に通じていました。 公園のあるこの辺りは、見渡す限り、アシ原や田んぼの続く低湿地で民家はぽつぽつと点在するくらい。サギやツルの仲間をはじめ、日本の空から消えてしまったトキやコウノトリなどの大型の水鳥もたくさん住む、のどかな田園地帯でした。旧千葉華道から南を見渡せば堅川を越え、遠くに「さざる堂」で江戸中の評判を集めていた羅漢寺がありました。 旧千葉街道は両国橋から堅川の北岸沿いに東へ通じ千葉方面にいたり江戸時代から佐倉道と称し、江戸と千葉方面を結ぶ重要な陸路であったが明治時代からの市区改正事業などにより元愛の国鉄総武線に沿った新しい千葉街道が建設されるにいたった 昭和33年(1958)10月1日 江東区第17号 PR |
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永山
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