東京都江東区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 江東区猿江2-16 五百羅漢道標 五百羅漢道標は、五百羅漢寺への道筋を案内する道しるべです。かつては、現在地より50mほど東にあった庚申堂の前に、川に面して建てられていました。正面には「是より五百らかん江右川[ ](通) 八町ほど先へ参り[ ](申)」、右側面には「此横道四ツ目橋通り亀戸天神□」とあり、亀戸天神への道も示しています。 造立年代は不明ですが、左側面の銘文により享保16年(1731)、寛政9年(1797)、文化2年(1805)の計3回再建されたことがわかります。現在の道標は文化2年(1805)に再建されたものです。 五百羅漢寺とは、明治20年(1887)まで現在の大島4-5付近にあった、天恩山五百阿羅漢寺(現在は目黒区に移転)のことです。堂内に安置された536体の羅漢像やらせん状の廊下をもつ三匝堂(通称さざえ堂)が有名で、亀戸天神と並び多くの参詣客を集めました。 この道標は、川沿いの道を歩く人はもちろんのこと小名木川を船で訪れる人の目にも留まるように建てられていました。陸上と水上の両方の道を対象とした、水路の恵まれた江東区ならではの文化財です。 平成19年(2007)3月 江東区教育委員会 PR |
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永山
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