東京都江東区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 江東区亀戸2-6 日清紡績創業の地碑 日清紡績株式会社は明治40年(1907)1月創立後、東京府南葛飾郡亀戸町の当敷地2万余坪に、最新鋭設備を誇る本社工場を建設した。 最盛時には、紡機107、800錘、織機360台を擁した本工場は、昭和16年(1941)軍の要請により陸軍被服本廠が使用するに至るまで、45年に亘り主力工場として綿糸布を生産し、広く内外の需要に応えると共に、幾多の人材を輩出した。 この間明治43年(1910)の三たび横十間川の洪水で浸水し、大正12年(1923)には関東大震災に遭ったが、従業員の献身的努力によりこの職場を守り得た。 昭和20年(1945)大戦下の空襲により焼土と化したが、運動場として整備し主として勤労青少年の体育に寄与してきた。偶々昭和42年(1967)東京都浄水場、日本住宅公団用地として提供するに至り、当社の手を離れた。 今般この地に記念碑を建立し会社創業関係者の遺徳と、生死苦楽を共にした多数従業員各位の功績を偲ぶものである。 日清紡績株式会社 昭和46年(1971)5月建之 PR |
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永山
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