東京都江東区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 江東区北砂1 (北砂緑道公園) 釜屋の渡しは、上大島村(大島1)と八右衛門新田(北砂1)を結び、小名木川を往復していました。名称は、この対岸に江戸時代から続く鋳物師、釜屋六右衛門・釜屋七右衛門の鋳造所があったことにちなみます。写真は明治末ごろの釜屋のようすです。川沿いに建ち並ぶ鋳物工場と、そこで働く人々や製品の大釜が写っています。 明治の初めごろにはすでに、対岸の農耕地などへ往来する「作場渡船」に類する「弥兵衛の渡」がありました。「大島町誌」(昭和7年〔1932〕刊行)によれば、大正7年(1918)7月5日に「営業渡船」として許可されています。利用状況は、平均して1日大人200人、自転車5台、荷車1台で、料金は1人1銭、小車1銭、自転車1銭、荷車2銭、牛馬1頭2銭とあります。 『城東区史稿』(昭和17年〔1942〕刊行)には営業の記載があるので、それ以後に廃止されたものと思われます。 江東区教育委員会 PR |
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永山
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