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東京都江東区の歴史
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所在地 江東区南砂-北砂

     境川の変遷
 境川(現在の都道、清洲橋通り)周辺は、江戸時代砂村新田と呼ばれていました。
 これは、砂村新左衛門が万治2年(1659)宝六島(現在の南砂1丁目付近)を中心に、436石の新田を開拓したことから、開拓者の名前をとったものです。
 新田の中央に小名木川から水をひいて、中川に注ぐように幅約19mの水路を設けました。
 この水路は、砂村新田の八右衛門、久左衛門、亀高、大塚の4ヵ村の南を境にして、流れていることから、境川といわれました。
 その後、境川は田畑の減少、舟運の減少等に伴って水路としての必要性が薄れ、廃川となり、昭和5年(1930)道路へと移り変わりました。
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