東京都江東区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 江東区北砂1 (北砂緑道公園) 釜屋の渡しは、上大島村(大島1)と八右衛門新田(北砂1)を結び、小名木川を往復していました。名称は、この対岸に江戸時代から続く鋳物師、釜屋六右衛門・釜屋七右衛門の鋳造所があったことにちなみます。写真は明治末ごろの釜屋のようすです。川沿いに建ち並ぶ鋳物工場と、そこで働く人々や製品の大釜が写っています。 明治の初めごろにはすでに、対岸の農耕地などへ往来する「作場渡船」に類する「弥兵衛の渡」がありました。「大島町誌」(昭和7年〔1932〕刊行)によれば、大正7年(1918)7月5日に「営業渡船」として許可されています。利用状況は、平均して1日大人200人、自転車5台、荷車1台で、料金は1人1銭、小車1銭、自転車1銭、荷車2銭、牛馬1頭2銭とあります。 『城東区史稿』(昭和17年〔1942〕刊行)には営業の記載があるので、それ以後に廃止されたものと思われます。 江東区教育委員会 PR 所在地 江東区北砂1-2先 左行秀は、幕末の著名な刀工で、文化10年(1813)筑前国(福岡県)で生まれ、明治20年(1887)に75歳で没しました。豊永久兵衛(のち久左衛門)ともいい、南北朝時代の名工「左門字」の流れを汲む意から「左」の号を用いました。 天保年間(1830~1844)の初めに江戸へ出て、刀工清水久義に入門し、弘化3年(1846)江戸から土佐(高知県)へ移り、翌弘化4年(1847)より土佐藩の城下で鍛刀を始めました。安政3年(1856)5月、三人扶持で刀工・鍛冶職として土佐藩に召し抱えられました。安政7年(1860)2月に江戸出府が命じられ、当時この付近にあった土佐藩下屋敷に滞在し、鍛錬場を築き刀剣を製造しました。ここで鍛刀した作品には「於東武土佐藩左行秀造之 慶応3年2月日」「於東武砂村元八幡宮北左行秀造之 慶応3年2月吉日」などの銘が見られます。また、下屋敷内では当時鉄砲の製造も行っており、これに関わったともいわれています。明治元年(1868)土佐へ戻り、明治3年(1870)まで作刀を続けました。 ここに残る石標柱は、左行日での鍛錬場跡を示すために、東京百年の記念事業として昭和43年(1968)に建てられたものです。 刀工 左行秀作刀旧跡 左行秀は江戸時代末期復古調の刀工として有名であった 行秀は北九州に生れ刀工となり江戸にでて水心子正秀の門人清水久義の弟子となりのち土佐藩の藩工となった 国鉄小名木川駅西側付近にあった土佐藩主山内家の下屋敷において作刀したことがある 行秀の作刀のなかに富賀岡八幡宮北辺おいてと銘のあるものはこの下屋敷において作刀したことを伝えている 行秀は明治初年(1953)高知県に帰り明治18年(1885)74歳をもって死去した 昭和43年(1968)10月1日 江東区第28号
寛永元年(1624)、深川郷唐島開発の際当地に訪ずれた菅原長寛が村民の要請を受けて稲荷大神を鎮座して深川稲荷と社号を称し、土地の氏神としてあがめた。 所在地 江東区北砂5-20-16 (亀高小学校付近) 松平冠山屋敷跡 松平冠山(本名池田定常)は、明和4年(1767)旗本池田政勝の次男として生まれ、安永2年(1773)7歳で因幡国鳥取藩(島根県)の支範若桜藩(西館家・鉄砲洲家)2万石の家督を継ぎ、第5代藩主となりました。冠山は、5歳のころより地理を好み、14歳にして江戸の地名をいろは寄せにして1冊にまとめるなど、早くから学問に興味を持ち始め、儒学者の佐藤一斎に学ぶこと40年に及んでいます。生涯の著述は『江戸黄檗禅刹記』や『浅草寺誌』等約70種を数えますが、現存するのはわずか15種ほどです。 文政12年(1829)62歳のとき江戸大火により鉄砲洲(中央区)の上屋敷が被災し、膨大な蔵書と原稿の大半を失ってしまい、亀高村の下屋敷(4千坪)に転居します。ここでの冠山は質素な生活を送りましたが、『江戸名所図会』等に序文を求められるなど、当時の著名な学者大名毛利高標(佐伯藩)・市橋長昭(仁正寺藩)とともに「文学三侯」と並び称されました。 天保4年(1833)67歳で没し、墨田区弘福寺(黄檗宗)に葬られています。 平成12年(2000)3月 江東区教育委員会 所在地 江東区北砂5-20・21 精製糖工業発祥の地碑 砂糖は8世紀に伝来し、17世紀広汎までは薬として珍重されてきたといわれています。江戸時代には、8代将軍徳川吉宗が国産化を奨励、明治に入ると、日本の各地で精製糖(白砂糖)の製造が試されるようになります。しかし、いずれもうまくいかず、明治23年(1890)、この地に建てられていた鈴木藤三郎の製糖所でようやく成功し、砂村において日本で初めて純白の砂糖が誕生しました。 鈴木藤三郎は、安政2年(1855)遠江国(静岡県)に生まれ、明治17年(1884)より氷砂糖を製造していました。明治22年(1889)、上京し、砂村に工場を移し、明治25年(1892)から本格的に精製糖の製造を開始しました。 藤三郎が工場の移転地としてこの地を選んだ理由は、原料や製品の運搬に小名木川の水運がとても便利だったからです。また砂村は、砂糖の国産あの奨励地として、徳川吉宗が甘藷(さとうきび)の苗を栽培させた。極めて砂糖とゆかりの深い土地であったためでもありました。 平成4年(1992)3月 江東区教育委員会 所在地 江東区北砂2-1-38 石田波郷宅跡 俳人石田波郷は、中村草田男や加藤楸邨らと並び人間探求派と呼ばれ、現代の俳句を発展させたひとりです。 波郷は、大正2年(1913)に愛媛県で生まれました。昭和21年(1946)にここ江東区北砂に移り、33年(1958)まで居を構えていました。その間『現代俳句』を創刊するなど俳壇の復興に力を注ぎ、自らも句集『惜命』を出すなど、数多くの名作を残しました。 みずみずしい情感と、生命を燃焼させた作品を生み続けましたが、昭和44年(1969)11月21日に病気のため56才で亡くなりました。お墓は調布の深大寺にあります。 隣りの妙久寺には、 蘩蔞や焦土のいろの雀ども 波郷 の句碑が建っています。 昭和63年(1988)3月 江東区 所在地 江東区北砂4-18-14 高平稲荷神社 御祭神 宇迦之御魂之尊 鎮座地江東区北砂4丁目1389番地 創建 元禄年間 社地三拾坪 当社ハ文化文政ノ頃ヨリ藪稲荷ト称シ西耕地地守神社ニ有之大正拾年(1921)頃ヨリ高平稲荷神社ト称シ 社地西原富次郎氏所有トナリ続ケテ現在ハ西原利栄氏所有ノ地トシテ御奉祀ス 右神社ハ寛永貮年頃(1625)美濃鴈間稲葉長門守 拾萬貮阡石ニシテ江戸ヨリ百貮拾五里七丁ナリ亀高西耕地ニアリタル此神社ハ此屋敷ノ守護神トシテ鎮座アリタルモノヲ西耕地開發ノ砌耕地鬼門除トシテ元禄時代ニ現位置ニ遷座シタルモノニシテ当時小名木川ヲ中心ニ諸大名ノ下屋敷アリタル為武士ノ出入激キ内ニ忠臣蔵デ有名ナ堀部安兵衛ガ稲葉長門ノ守方ノ懇望ニヨリ昭和20年(1945)3月10日ノ戦火ニヨリ焼失シ仮宮造営シ後現宮ヲ再建シ砂町銀座商店街復興組合繁栄ノ神トシテ崇敬シ奉ル 昭和46年(1971)組合員一同ニテ御影石ノ鳥居ヲ奉納ス 毎年節分ニノ午5月15日及9月15日ニハ所有者西原利栄氏並ニ砂町銀座商店街振興組合員ニテ神官ヲ迎え祭リヲ施工ス 昭和57年(1982)2月16日建之 東京都江東区住吉2丁目13番地 所有者 西原利栄 砂町銀座商店街振興組合 理事長 臼杵歳雄 所在地 江東区北砂3-21 治兵衛稲荷神社 祭神 蒼稲魂命(うがのみtまのみこと) 祭神 白菊大神 慶安(1648)のころ治兵衛という人がこの附近一帯を開拓して村の鎮守として山城の國京都伏見稲荷大社の御分霊を勧請奉祀したのが治兵衛稲荷神社のおこりであります。 蒼稲魂命とは天照皇大神の御弟素盞鳴命の御子にあたります。「うが」とは食物のこと食物の守護神であります。伊勢外宮の御祭神豊受比売命と蒼稲魂命とは異名同神にましますが、天照皇大神が特に蒼稲魂命を愛し給うたので伊勢の外宮に豊受比売命の御名で祀られて居ります。「稲荷」は文字の意味から五穀豊穣の守護神であります。白菊大神は伏見三ノ峯にあり両御祭神とも郷土交通安全特に家内安全と子供を「カワイガル」子孫の繁栄の神として古くより知られており住民の繁栄と商売繁盛をみちびき給う神でありますから篤く崇敬し奉るべきであります。 当神社は徳川時代に代官所が設置されて居た当時は代官所の守護神として崇敬されていたと言い伝えられておりました。 昭和62年(1987)9月吉日建之 奉賛会会長 加藤録太郎 奉賛会 役員一同 施工 山﨑石材店 治兵衛稲荷神社には『庚申塚』、『力石』があります。 所在地 江東区北砂1-3付近 中浜万次郎宅跡(ジョン万次郎旧居跡) 「ジョン万次郎」の名で知られる中浜万次郎は、文政10年(1827)、土佐国(高知県)の猟師の家に生まれ、明治31年(1898)に没しました。 万次郎は、14歳の時に漁に出て遭難し、無人島に漂着しましたが、アメリカの捕鯨船に救助され、24歳で帰国するまでの大半をアメリカで過しました。帰国後は土佐藩、ついで幕府に登用され、アメリカの情報を伝えるとともに、通訳や航海士などとして活躍しました。 明治元年(1868)、万次郎はふたたび土佐藩に登用され、翌年から、この地にあった同藩の下屋敷の中に住みました。この下屋敷は6600坪(21,780平方メートル)ほどあり、庭にわ広大な池があったようです。万次郎は開成学校(東京大学の前身)の教授などを勤めながら11年間をここで過ごしました。 平成21年(2009)10月 江東区教育委員会 |
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永山
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