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東京都江東区の歴史
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所在地 江東区三好1-6-3

 浄土宗 長専院 不動寺







 木造阿弥陀如来立像

江東区指定有形文化財(彫刻) 
 平成21年(2008)3月27日指定

 長専院の本尊、像高は75.6cm。三尺阿弥陀と称される来迎形式の阿弥陀如来立像です。右手は肘を曲げて掌を前に向けて立て、左手は掌を前に向けて下ろし、両手とも親指と人差し指を捻じ、右足をわずかに前に踏み出して立っています。
 この像の造像技法は、二材以上を規則的に接合して造る「寄木造り」、もしくは「割矧ぎ(わりはぎ)造り」です。眼は水晶をはめ込んだ「王眼」とし、表面の仕上げは、肉親部は金の粉末をニカワに溶かして塗る「金泥(きんでい)」、着衣には漆の上に金箔を貼る「漆箔(しっぱく)」が施されています。全体にバランスがよくとれた優作です。
 形姿と造像技法から、鎌倉時代後期(13世紀後半)の作例と考えられます。保存状態がよく、造立当初の姿をよく残していることは貴重です。
    平成22年10月    江東区教育委員会


所在地 江東区三好2-17-14 (雲光院)

雲光院開基徳川家康公側室 阿茶局の墓
法號雲光院殿一位尼公正誉周栄大姉
弘治元年(1555)生
寛永14年(1637)1月22日寂



阿茶局は今川氏の巨神尾忠重の妻であったが夫の死後徳川家康に仕え阿茶局と称し慶長19年(1614)大阪役のとき死者として大阪城に入り淀君に面接して和議成立に力を尽し天和6年(1683)2代将軍秀忠の女が京都に入内するとき母親代りとして随行するなど才女としての誉れ高く老後は雲光院と号し寛永14年(1637)1月2日83歳にて死去し雲光院に葬られた
 昭和33年(1958)10月1日 江東区第6号



江東区指定有形文化財(建造物) 
 石造宝篋院塔(阿茶局墓塔) 寛永14年在銘
     平成13年(2001)3月29日指定



 本塔は雲光院の開基である阿茶局の墓塔として建てられたものです。宝篋印塔とは内部に「宝篋印陀羅尼」をおさめたことに由来する塔婆の一形式ですが、墓塔・供養塔としても建てられるようになりました。
 阿茶局は弘治元年(1555)、竹田家の家臣飯田氏の子として生まれ、今川家の家臣神尾忠重の妻となりましたが、忠重の死後、側側家康の側室となりました。大坂冬の陣には和睦の使者をつとめ、家康氏語は徳川秀忠の五女和子の入内に際し、母代として在京しました。元和9年(1623)、従一位に叙せられ、秀忠の死後は尼となり雲光院と称し、寛永14年(1637)、83歳で没しました。
 本塔は総高363.1cm、石質は安山岩です。塔身正面には「雲光院殿従一位尼公」、左右側面と背面には阿弥陀三尊の種子が刻まれています。また、上基礎の正面には「正誉周栄大姉 寛永14年■正月廿日」と刻銘があります。
 本塔は近世前期の宝篋印塔の様式をよく示し、江戸幕府成立に深く関わった人物の墓塔としても意義深く、貴重な石塔といえます。
 平成14年(2002)3月 江東区教育委員会



所在地 江東区三好2-7-5 (龍光院)

   深川七福神
       毘沙門天

 龍光院は浄土宗で、もとは雲光院の塔頭のひとつでした。慶長16年(1611)馬喰町(中央区)に創建されました。明暦3年(1657)の大火で全焼したため岩井町(同区)へ移転しさらに、天和2年(1682)再び焼失し、同天和2年(1682)現在地へ移りました。
 深川七福神のひとつ(毘沙門天)として親しまれています。



所在地 江東区三好1-2-11

日蓮宗
 妙運山 円隆院

 


所在地 江東区三好1-4-5

浄土宗
 大智山 勢至院

 勢至院墓地には『桜井山興墓碑』があります。


所在地 江東区三好1-5-12

浄土宗
 雙樹寺 済生院


所在地 江東区三好1−6−13

浄土宗
 成等院

 成等院境内には『紀伊国屋文左衛門墓』があります。


所在地 江東区三好2-10-4

浄土宗
 潮江院


                     延命地蔵尊


所在地 江東区三好1-3 (勢至院墓地)

   桜井山興墓碑さくらいさんこう
 水戸出身の桜井山興(雪館)は江戸中期の雪舟流の画家。江戸に出て名声を博した。寛政2年(1790)没。墓碑は、子の雪保により建てられた。
 江東区
                                        

所在地 江東区三好1−6−13 (成等院)

  紀伊国屋文左衛門墓
 紀伊から江戸に出て材木商となる。老中柳沢吉保と結び、上野寛永寺の建築材納入で多大の財をなしたが、のち家運衰え、八幡宮の一の鳥居付近に住み、そこで没した。
 江東区


                                                                              紀伊国屋文左衛門の顕彰碑


所在地 江東区三好2-16-7

曹洞宗
 祥雲山 善徳寺



 


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