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東京都江東区の歴史
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所在地 江東区毛利2-13・住吉2-28

 猿江恩賜公園
  北側地区
 以前ここは貯木場として使われ、戦後は林野庁の所管となり、全国の山々から切り出された材木を浮かべていました。昭和51年(1976)、貯木場は江東区潮見へ移転し、約250年にわたった猿江貯木場の歴史を閉じました。その後、北側地区は公園として整備され昭和56年(1981)12月26日に開園しました。
 ◎ミニ木蔵
 かつての木場のように、水面にある環境を残すため造ったもので、水面の広さは約1,600㎡あります。このミニ木蔵の護岸に使われている石は、材木を長い期間貯蔵するとき、「重し」として使われていたものです。
 開園年月日  昭和56年(1981)12月26日(北側地区)
 主な植物    イチョウ、ヤマモモ、ケヤキ、サツキ、ソメイヨシノ
 施設       テニスコート、ミニ木蔵

  North Side
 This area was used to store lumber and was transferred to the administration of the Forestry Agency after World War Ⅱ.In those days,timber from mountains all across the country could be seen floating in the pond in the area.
 The Sarue Lumberyard moved to Shiomi,Koto Ward,in Tokyo,in 1976,ending its approximate 250-year history.The north side was later reconstructed into a park,which was opened to the public on December 26,1981.
 
  Mini-kigura(Miniature Lumberyard)
 A body of water approcimately 1,600㎡ was added to preserbe the surrounding waterside,reminding people of thehistoric lumberyard.The stones that embank the miniature lumberyard were used as weights that were praced on lumber during long storage.
 
 Opening gate:December 26,1981(north side)
 Major plants:ginkgo,bayberry,zelkova,azalea,and yoshino cherry trees
 Public facilities:tennis courts and a mini-kigura(miniature lumberyard)

  南側地区
 ここは、かつて猿江貯木場といって、林木を水に浮かべて貯めておくための場所でした。享保18年(1733)頃、幕府の材木蔵として造られた後、明治政府に引き継がれ、皇室の御用材の貯木場となりました。
 大正13年(1924)にその敷地の一部(南側地区)が東京市に払い下げられ、昭和7年(1932)、猿江恩賜公園として開園されました。

 開園年月日  昭和7年(1932)4月29日(南側地区)
 主な植物    イチョウ、ヤマモモ、ケヤキ、サツキ、ソメイヨシノ
 施設       野球場(兼用競技場)

  South side
 This area was the site of the Sarue Lumberyard,which stored logs in  the pond.The Tokuawa shogunate constructed this lumberyard in approximately the 18th year of Kyoho(1733) to be used as a storage area for government timber.It was later transferred to the Meiji governmet an used as a lumberyard to supply building materials for the construction of the Imperial Household. 
 The southern part of the lumberyard was sold to the Tokyo government in 1924 and was renamed Sarue Onshi Kouen,which roughly translaes into "Sarue Park donated by the Imperial Household." The park was plened to the public in 1932.
 
 Opening date:April 29,1932(south side)
 Major plants:ginkgo,bayberry,zelkova,azalea,and yoshino cherry trees
 Public facilitise:ballpark,track and field area











 猿江恩賜公園には『猿江恩賜公園の碑』、『猿江材木蔵跡碑』、『江東公会堂「ティアラこうとう」』、『二瓶哲治胸像』があります。
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所在地 江東区毛利2-13・住吉2-28 (猿江恩賜公園)

 猿江材木蔵跡碑
この付近は江戸時代初期に埋め立て元禄12年(1699)深川元木場にあった時木場を一時ここに移したことあがあり、そののち享保7年(1722)伊勢屋毛利藤左衛門たちが堀を埋め立て毛利新田をひらいたが享保19年(1734)幕府はその大部分をとりあげて材木蔵をおき以来幕府の貯木場となし明治以降は皇室所有の貯木場となり大正13年(1924)その一部を猿江公園とした。
 昭和33年(1958)10月1日 江東区第11号



所在地 江東区毛利2-13・住吉2-28 (猿江恩賜公園)

 二瓶哲治胸像
 氏は明治33年(1900)4月3日宮城県伊具郡丸森町に出生。若くして英才の誉れ高く大正15年(1926)東京帝国大学法学部を卒業。昭和9年(1934)東京市に勤務。昭和18年(1943)城東区役所に転勤。昭和22年(1947)5月3日初代江東区長に就任。以来5期18年の長きにわたり区長を歴任し、江東区の復興と繁栄のために尽力せられた業績は多大であった。とくに治水事業として江東地区を水害から守る外郭堤防の完成、並びに改良下水道工業用水道の建設促進に努力せられた功績は高く評価せられ、また特別区長会会長をはじめ数多くの公的団体の要職を兼ね、特別区の自治権拡充等地上自治の発展に貢献せられた功労も顕著であった。氏は平素区政に対し深い熱意と不屈の信念をもち、かつ公私を混同しない清廉潔白な人物にして、またまれにみる雄弁家であったが、出張中病を得て昭和39年(1964)12月9日64歳をもって惜しくも世を去られた。ここに施政のために身命を奉仕せられた氏の遺徳をしのびその業績を顕彰するものである。
 昭和41年(1966)12月9日




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永山
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