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東京都江東区の歴史
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所在地 江東区新砂1-1・2付近

 洲崎球場跡
     「伝統の一戦(巨人・阪神)」誕生の地



 洲崎球場(別称・洲崎大東京球場)は、日本プロ野球草創期の野球場で、昭和11年(1936)2月に日本で6番目に結成されたプロ野球チーム「大東京軍」の本拠地でした。
 プロ球団結成への気運は、昭和9年(1934)開催の日米野球で高まりました。同年12月に大日本東京野球倶楽部(現在の読売巨人軍)が結成されると、東京、大阪、名古屋に相次いでプロ球団が誕生し、昭和11年(1936)には7球団によるプロ野球公式戦が開始されました。
 しかし、東京にはプロが使用できる野球場はなく、在京球団の本拠地建設が急がれました。そのため、洲崎球状はわずか3ヵ月ほどで完成し、秋のシーズンの最後を飾る「東京第二次リーグ戦」が開催されました。シーズン終了後には、巨人とタイガース(現在の阪神)による初のプロ野球日本一決定戦(3連戦)が開催され、沢村栄治投手擁する巨人が初代王座を獲得しました。この試合は、日本プロ野球史上屈指の好ゲームといわれ、洲崎球場が最も輝いた時でした。現在でも「伝統の一戦」といわれる両チームの熱戦は、ここから誕生しました。
 日本プロ野球の歴史を刻んだ洲崎球場は、昭和13年(1938)の3試合を最後の閉鎖されました。わずか3年間とはいえ、日本プロ野球界繁栄の礎を築いた貴重な野球場跡として記録に残すものです。
 平成17年(2005)2月 江東区教育委員会


              昭和11年(1936)11月完成の洲崎球場(東京新聞提供)


              初代王座を獲得した巨人軍(読売新聞東京本社提供)
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所在地 江東区新砂3-5-28 (那須電気鉄工株式会社)

 那須仁九朗社長之像
 那須仁九朗社長は、明治29年(1896)、岡山県福河村に生れ、弱冠16才にして青雲の志を抱き上京、昭和4年(1929)、電力通信用資材の製造を業とする那須電機鉄工株式会社を創立し、社長に就任以来50年余、その間10社に及ぶ関連会社を設立、育成し、事に当っては誠実と奉仕の心をもって世に貢献されましt。その顕著な功績により、紺綬および藍綬褒章を受章、引き続き勲四等旭日小受賞を、昭和48年(1973)には勲三等瑞宝章叙勲の栄に浴されました。
 「人の和」を座右の銘とし、人徳あまねく人人の敬慕を一身に集め、広く世の発展に尽されました。
 昭和55年(1980)6月2日 那須電機鉄工株式会社






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