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東京都江東区の歴史
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所在地 江東区東陽4-11-28 (江東区役所)

 明和2年(1765)、平井満右衛門により洲崎弁天から砂村新田にいたる干潟が埋め立てられ、平井新田が成立しました。平井新田は塩浜にする計画で開発され、明和3年(1766)には塩浜が築かれ、製塩が開始されました。
 寛政5年(1793)の「分限江戸大絵図」には塩浜の位置や規模、様子が描かれています。それによると、塩浜は平井新田の西部に位置しており、海から海水を導く「塩浜汐引ホリ」と記された水路や、鹹水(濃い塩水)をつくる「汐溜」、海水を煮詰めて塩をつくる「塩カマ(竈)」などの様子がうかがえます。もともと平井新田は塩浜にする予定で開発されたものでしたが、潮の便が悪く永続しなかったため、まもなく廃止されました。
 しかし、塩浜という地名は残り、「平井新田字塩浜耕地」の呼称は明治24年(1891)、この地域が深川区西平井町に編入されるまで続きました。
  平成18年(2006)2月  江東区教育委員会


    鈴木春信画『続絵本江戸土産』中巻(国立国会図書館蔵)
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所在地 江東区東陽3-8 (沢海橋第二児童遊園)

  関東大震災殉難者供養碑

十三回忌 昭和拾年九月一日
 賛助員芳名
堀大太郎 池徳 辰巳屋 伊勢森 森由 太平安 宇田川喜太郎 濱壽司 佐藤豆腐店 花福 伊藤吉助 小宮大作 中村定吉 服部■ 梶谷文吉 栗山登一郎 原田忠七 宮本三之助 土屋辰次郎 川島源十郎 
 高野山金剛講員建之
中村定吉 小宮ハマ 天■由蔵 石原はる 相葉ナカ 沖田みき 小川利喜松 須藤亘啓 宮本うめ 大平のぶ 五月女る■ 石川は■ 渡邊弥七 米津はる


所在地 江東区東陽4-4

  深川親子地蔵堂
 この親子地蔵尊は第二次大戦も終りに近い昭和20年(1945)3月10日の下町地区の大空襲の砌この地域に於いて殉難死された方々の霊の供養回向の為昭和23年(1948)3月10日の3年忌法要を記念し遺族及有志の発願によって建立したものです。
 昭和53年(1978)3月10日 親子地蔵保存会



 


所在地 江東区東陽2-4

  東陽橋跡
ここは、かっての東陽橋の跡である。
東陽橋は、州崎川にかかっていた長さ22m巾5.6mの三径間鋼桁橋であった。


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永山
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