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東京都江東区の歴史
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所在地 江東区大島4-5

 五百羅漢跡
 五百羅漢は、元禄8年(1695)に松雲元慶禅師により創建された黄檗宗の寺院です。禅師は貞享年間(1684~1688)に江戸へ出て、元禄4年(1691)から木造羅漢像を彫り始めました。元禄8年(1695)、将軍徳川綱吉から天恩山五百羅漢寺の寺号と6千坪余の寺地を賜り、ここに自ら彫像した羅漢像など536体を安置しました。
 当寺の三匝堂は、廊下がらせん状に3階まで続いており、その様子がサザエのようであることから、または三匝とサザエの発音が似ていることから「さざえ堂」と呼ばれ、多くの参詣客を集める江戸名所のひとつでした。区内には、五百羅漢までの道筋を示す道標が2基現存しています。
 羅漢寺は明治20年(1887)本所緑町(現墨田区)へ移り、さらに明治42年(1909)現在地(目黒区)へ移転しました。
 ここに残る石標柱は、五百羅漢跡を示すために昭和33年(1958)に建てられたものです。
 平成20年(2008)3月 江東区教育委員会








所在地 江東区大島3-21-9

 子安稲荷神社
縁起
江戸時代 元禄時代の中頃に村民によって宇迦能魂之神を祀り護国豊饒と子孫の繁栄を願い鎮座されました。
氏子は現在の大島3丁目、4丁目の一部と南5ッ目(大島2丁目の堅川沿いの一部)でした。
明治の末頃香取神社の管轄となり現在の高砂鉄工所門前近くに鎮座されておりましたが昭和30年(1955)頃工場拡張工事の際、現在地にて町会の守護神として祀ってくれる様にと願い出あり、町会役員、氏子、世話人相談の上、当地にお祀りすることになりました。
現在は学問、子育ての神として崇拝を受けている。




 


所在地 江東区大島9-8 (大島小松川公園)

 南本所牛島神社跡
此の稲荷神社は宇迦の御魂神を祀った神社にして武蔵國南葛飾郡大島村南本所で村石井甚左衛門屋舗地に在りしが村内の産神に相定め祭りたるものなり祖後此の稲荷神社と同一境内社殿に牛島神社の御分霊を併祀し南本所で村の鎮守守護の神社として信仰崇敬し居たるものにして明治維新後旧内務省神社局に於て全國各地方所在神社を調査して神社台帳に記載登録す明治32年(1899)1月27日付にて牛島神社社司春田宣徳此の神社社掌兼務を命ぜられ就任せり曩に昭和20年(1945)3月9日戦禍に依り社殿悉く稀有に歸せしが其後復興するにつれ昭和25年(1950)東大島神社に合祀せり仍て此に旧趾に石碑を建てて聊か其の由来を記す














所在地 江東区大島8-19

 子安庚申堂
有形民俗文化財(正徳2年建立)徳川時代、かのえさるの夜に仏家では青面金剛、神道では猿田彦神を祀り、徹夜する習俗が盛んに行なわれた。此の右塔には、青面金剛と建立した人達の名が刻まれており、もと此の地にあった子安稲荷神社境内に建てられていたが、長年の雨風で石面が傷んだ為今回有志がお堂を造り、周囲を整備したものである。

 


所在地 江東区大島9-1

 中川船番所跡
 中川船番所は中川番所・中川関所とも呼ばれ、江戸と関東各地を結ぶ河川交通路上に設けられた関所です。寛文元年(1661)に、それまで小名木川の隅田川口にあった幕府の川船番所が移転したものです。建物は小名木川に面し、水際には番小屋が建てられていました。主に、夜間の出船・入船、女性の通行、鉄砲などの武器・武具の通関を取締るなど、小名木川を通る川船の積荷と人を改めることを目的としました。
 また、中川対岸の船堀川から、江戸川・利根川水系へと延びる流通網の要として、江戸中期以降には、江戸へ送られる荷物の品目と数量を把握する機能も担うようになり、海上交通路上における浦賀番所(現横須賀市)と並び、江戸の東側窓口として重要な役割を果たしてきました。
 明治2年(1869)、全国の関所が廃止されたのに伴い番所も廃止されました。
 平成7年(1995)に行なわれた発掘調査では、瓦や陶器片などの資料とともに建物の遺構が確認されました。
 平成14年(2002)10月 江東区教育委員会









所在地 江東区大島1-17~38

 庚申道跡
 明治通りから横十間川へ向かうこの道は、庚申道と呼ばれていました。明治44年(1911)の東京逓信管理局作成の地図を見ると「字庚申道」と記されています。
 この道の西側、大島1-18
に「釜屋堀庚申様地蔵尊」という幟の建てられたお堂があります。このお堂は昭和62年(1987)頃まで突き当たりにあり、「三つまたの庚申様」とも呼ばれていました。昭和7年(1932)に刊行された『大島町誌』には、「庚申堂」として旧大島村甲70番地にあること、猿田彦大神を祀ること、その由緒は未詳であることなどが記されています。現在、堂内には青面金剛を浮き彫りにした庚申塔とお地蔵様が祀られ、大切に守られています。
 かつては、道の中央に小川があり、子どもをたらいに入れて流すと厄払いになるという言い伝えがありました。また、沿道には八百屋・魚屋・駄菓子屋などが並びにぎわっていました。「庚申道」の名は、この鉄道橋に今も残り、新大橋通りが貫通する以前の大島の古い道と町並みの様子を偲ばせています。
 平成6年(1994)3月 江東区教育委員会











所在地 江東区大島4-14-7

浄土真宗本願寺派
 浄楽寺

 


所在地 江東区大島1-2

 江東区立 釜屋堀公園
本園地タル釜屋堀ノ一帯ハ明治20年(1887)2月我國化学肥料製造ノ嚆矢タル東京人造肥料会社創業ノ地ニシテ近代農業ノ発達ニ多大ノ寄與セシ由緒アル處ナリ 
茲ニ化学肥料事業ニ盡瘁セラルル有志相諮ラレ永ク此地ヲ記念スベク用地二百五十餘坪ヲ本都ニ寄附セラル今ヤ公園施設成リ開園ニ際シテ其由来ヲ刻シ寄贈者ノ芳志ヲ後世ニ傳フ
 東京都 昭和19年(1944)5月開園







 釜屋堀公園内には『釜屋跡』、『化学肥料創業記念碑』、『尊農之碑』があります。


所在地 江東区大島1-2 (釜屋堀公園)

 化学肥料創業記念碑
植物ガ栄養トスル肥料ノ成分ハ窒素燐酸加里ガ主デアッテ之ヲ主要素ト称ヘ窒素ハ主トシエ葉ヲ燐酸ハ果實ヲ加里ハ根幹ヲ形成スルモノデアリ肥料デハ古来動植物質ノ腐熟シタモノヲ多ク用イタガ近代科学ノ発達ハ化学的ニ窒素燐酸加里ノ各肥料ヲ多量且ツ廉価ニ生産スルコトニ成功シ是ニ依ツテ農作物等ノ収穫ハ画期的躍進ヲ見ルニ至ッタ 此ノ所一帯ハ實ニ我国化学肥料ノ先駆タル過燐酸石灰製造工業創始ノ地デアル






所在地 江東区大島1-2 (釜屋堀公園)

  釜屋跡
太田氏釜屋六右衛門と田中氏釜屋七右衛門は通称釜六釜七と称し寛永17年(1640)今の滋賀県から港区に■■■なくこの付近に住い釜六は明治時代まで釜七は大正時代まで代々鋳物業を盛大に続けて知られなべかまの日用品をはじめぼん鐘仏像天水おけなどを鋳造した。
 昭和33年(1958)10月1日 江東区第19号


所在地 江東区大島1-2 (釜屋堀公園)

  尊農之碑
先覚渋沢栄一益田孝等ノ諸氏 維新当初ニ於テ 我カ国運ノ躍進ハ必スヤ人口ノ激増ヲ来シ 食糧問題ハ實ニ邦家将来ノ緊要案件タルヘキヲ洞察シ農業ノ発達ト肥料ノ合理的施用トニ因リ之カ増収ヲ企図スヘキ堅キ決意ヲ為シ欧米ニ於ケル化学肥料ノ研鑽者タル高峰譲吉氏ノ協力ヲ得テ 明治二十年(1887)初メテ此ノ地ニ東京人造肥料会社ヲ設立シ過燐酸肥料ノ製造ヲ開始セリ是レ我国ニ於ケル化学肥料製造ノ嚆矢ナリ
本事業ハ官民ノ協力二因リテ漸次進展シ後更ニ空中窒素固定工業ノ勃興スルニ及ヒ農業生産ノ飛躍的増収ニ絶大ナル貢献ヲ為スニ至レリ今ヤ曠古ノ非常時局ニ際会セルモ能ク一億国民ノ食糧ヲ確保シ前線銃後些ノ憂ナキニ至リシハ蓋シ化学肥料ノ発達普及ニ負フモノ多シト謂フヘシ
同社ハ後ニ 大日本人造肥料株式会社ト改称シ此ノ地ハ釜屋堀工場 トナリシモ不幸大正十二年(1923)ノ関東大震災ニ壊滅シ爾来二十星霜ノ久シキ寂トシテ之ヲ顧ルモノナキヲ遺憾トシ茲ニ関係同志胥謀リ碑ヲ其ノ址ニ建テテ 由来ヲ刻シ永ク偉績ヲ顕彰スルト共ニ我国農業ノ興隆ヲ期シ以テ皇国ノ盛運ヲ奉頌ス
 昭和18年(1943)11月 化学肥料創業記念碑建設会






所在地 江東区大島2-12

 愛宕神社(小林一茶旧居跡)
由来
 愛宕神社は、もと本所中之郷(墨田区)の成就院境内にまつられていたものを、中之郷の村民の移住とともに大島へ移転したものです。
 江戸後期の俳人、小林一茶(1763~1827)は、享和3年(1803)から文化5年(1808)にかけての句帳や日記に「本所五ッ目愛宕山」と記しており、40代前半の一時期を愛宕神社に仮住いしていたと思われます。 




 愛宕神社には『小林一茶句碑』、『力石』があります。


所在地 江東区大島2-12 (愛宕神社)

 小林一茶句碑

雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る
                       一茶
 


所在地 江東区大島8-38-32

真言宗智山派
 稲荷山 小名院 宝塔寺ほうとうじ
由来
 宝塔寺は真言宗で、稲荷山小名院と号します。境内に安置されている塩なめ地蔵は、もとは、小名木川沿いにあったものを昭和初期に移したものです。
 江戸時代に、小名木川や行徳道を通る商人たちが、この地蔵の前で休憩し、商売繁盛を願って塩を供えたのが由来と伝えられています。また、仏前の塩をもらっていぼにぬると治るともいわれ、別名「いぼ取り地蔵」とも呼ばれていました。




 宝塔寺には『塩舐め地蔵』、『大先達加藤忠治之碑』があります。



 


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