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東京都江東区の歴史
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所在地 江東区千田12-8

 宇迦八幡宮
今より遡る事240年の昔此の辺りは海辺にして豊葦原の其の名の如く葦の葉繁る干潟にして江戸中の塵芥を以って築地となし10万坪築地と申されたり
享保年間近江の国の人千田庄兵工氏此の地に来り時の幕府徳川8代将軍吉宗公に願い出で此の土地を開拓せんと3年の長さを費して村造りを■めない其の氏をとって武蔵国南葛飾郡千田新田と名付けらる
後に寛政年間全体が一橋家の領地となったので一橋領10万坪とも称えたり
当時社はその当時小さな祠であったが千田庄兵工敬神の念篤く社殿を造り千田稲荷神社と称し土地の産土神としてあがめらる
たまたま土地に穀物の実らざるを嘆き当神社に祈願を籠め神霊のお告げを受けてこれに代うるに片栗を栽培しえ農民の飢餓を救ったという古き伝説の故を以って一名片栗八幡宮とも称う
入母屋権現造り総桧銅板葺きの豪壮華麗なる社殿は戦災に依り焼失するも昭和27年(1952)7月戦前と同型同様の社殿を建設し昭和27年(1952)1月25日附神社本庁統理の承認を得て社名を宇迦八幡宮と改称す
 宇迦八幡宮 宮司 菅原光雄







 宇迦八幡宮には『石造六角宝塔』、『軍馬盛敬號之碑』があります。
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