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東京都江東区の歴史
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所在地 江東区亀戸3-57-22

  亀戸香取神社 

亀戸七福神 大国神・恵比寿神

 香取神社は、社伝によれば665年の創建で、藤原鎌足(614~669)が亀の島に船を寄せ、香取大神を勧請し旅の安全を願ったのが始まりといわれ、以来亀戸村の総鎮守として信仰を集めています。
 平安時代の中期、関東で起こった平将門の乱(935~940)を平定した藤原秀郷が、戦勝の返礼として弓矢を奉納した故事にちなみ、毎年5月5日に勝矢祭が行われています。
 亀戸七福神のうち恵比寿・大国神で親しまれています。



御祭神 経津主神  相殿に武甕槌神・大己貴神

 香取神社の御祭神経津主神は千早振る神代の昔天照大神のご命令により、鹿島大神と共に豊葦原瑞穂国(日本の国)の平定に手柄を立てられた威霊優れた国家鎮護の神として仰がれる我国武将の祖神であります。然も御本宮が神武天皇の御代に東国下総に鎮座されましたことは非常に意義あることで、日本国の守護を固めた事になり、更に農業に深い関係があり、国土開発に多大の功績のあった産業の祖神でもあります。
 故に大和朝廷におかれても殊に崇敬が篤く、中臣氏(後の藤原氏)は香取・鹿島両宮を氏神として忠誠を捧げ崇敬を尽されたのであります。



 当社の創立は天智天皇4年(665)、藤原鎌足公が東国下向の際、この亀の島に船を寄せられ、香取大神を勧請され太刀一振を納め、旅の単体を祈り神徳を仰ぎ奉りましたのが創立の起因であります。
 天慶の昔平将門が乱を起した時、追討使俵藤太秀郷が当社に参籠し戦勝を祈願して戦いに臨んだところ、目出度く乱を平げたので神恩感謝の奉賽として弓矢を奉納、勝矢と命名されました。現在でもこの故事により勝矢祭が5月5日(武者行列)に執り行われております。
 以来益々土民の崇敬が篤く郷土の守護神というばかりでなく、御神徳が四方に及びましたので、葛飾神社香取太神宮と称え奉るに至りました。
 元禄10年検地の節は改めて社寺の下附があり、徳川家の社寺帳にも載せられ古都古跡十二社の中にも数えられております。



 亀戸香取神社境内には『亀戸大根之碑』、『亀が井(亀ヶ井)』、『紙本淡彩道祖神祭図 歌川広重筆 一幅』、『水神社・三峯神社・熊野神社』、『稲足神社』、『福神社』、『天祖神社(入神明宮)』、『木遣音頭碑』があります。

 
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