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東京都江東区の歴史
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所在地 江東区南砂1-1~北砂6-19 (仙台堀川公園)

  砂町運河跡
 区民の憩いの場として親しまれているこの仙台堀川公園は、かつて砂町運河として民間の手により開削された、例の少ない運河です。
 砂町が農村から工業の町へと発展していくなかで、船による輸送力の向上を見越して運河の開削が計画され、大正8年(1919)に東京運河河土地株式会社が創立されました。大正11年(1922)に着工し、小名木川の合流点から現在の都立東高校の正面にあたる東砂7-19までの南北の一線、続いて旧舟入川合流点から横十間川合流点までの東西の一線が昭和8年(1933)までに完成しました。



 昭和23年(1948)、東京都に移管された砂町川と名勝を改め、昭和40年(1965)、河川法の改正に伴い、仙台堀川の一部となりました。 
 昭和30年(1955)ごろまでは、周辺の製材工場の木材が水面に浮かぶ光景がみられましたが、砂町が工業地帯から住宅地へと変貌をとげると、運河としての役割も終わり、昭和55年(1980)に埋め立てられ、親水公園として生まれかわりました。
 平成10年(1998)3月 江東区教育委員会


                       開発当時の砂町運河(正面は福島橋)
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