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東京都江東区の歴史
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所在地 江東区南砂7-14-18

 当宮は深川富岡八幡宮の元宮として、また、砂村総鎮守として広く知られており、その創建は古く、藤原鎌足の孫、藤原豊成卿が下総守に任じられ下向のみぎり、天平勝宝元年(749)に創立された区内屈指の古社であります。
 当宮と深川富岡八幡宮との関係は、この地が宝六島と呼ばれていた寛永初期、卿より永代島に移り暫く当宮を拠点に活動していた長盛法師が、当宮に奉祭されていた「八幡像」を、深川八幡宮に移し勧請したことによります。この「八幡像」は、源三位頼政、千葉氏、足利尊氏、鎌倉公方基氏、管領上杉氏から太田道灌へと伝えられ、特に道灌より厚い崇敬を受けていたものであります。
 享保年間には、境内に桜、松あわせて3万本が植えられ、8代しょうぐん吉宗公お手植えの矢竹なども存在しておりました。この風光明媚な様子は江戸名所図会や安藤広重の名所江戸百景にも描かれ、当地が江戸の景勝地であった事を窺い知る事ができます。現在も境内二位は都内でも数少ない石造の富士塚や芭蕉句碑、鳳卵石などが残されています。 
 また、この地の由来は、万治2年(1659)に開拓者である福井鯖江の砂村新左衛門により新田開発が完成し、砂村新田と名付けられ砂村の地名が生まれました。
 「御祭神」 
応神天皇(誉田別皇) 比売大神 宇迦之御魂大神 外五柱 

宮司 荒井秀樹 
御創建1260年記念 富賀岡八幡宮奉賛会    



境内には『砂村新左衛門顕彰碑』、『砂村囃子記念碑』、『砂町の富士塚』、『出羽三山の碑』、『力石』があります。


        富賀岡八幡宮(元八幡)
富賀岡八幡宮は元八幡として知られています。これは寛永10年(1633)、八幡神像が関東郡代伊奈半十郎の家臣興津左衛門により深川の富岡八幡宮へ寄付されたとき、一時砂村の富賀岡八幡宮に安置されたことによるといわれています。当時は元八幡の辺りから南に海が広がっていました。境内も広く、参道には美しい桜並木が続き、自然の景観に恵まれた神社は江戸市民の行楽地として賑わい、広重(1797~1858)の「名所江戸百景」にも描かれました。
  
    Tomigaoka Haxhimanngu Shrine
Tomigaoka Hachimangu Shrine is also known as Motohachiman.During the Edo Period(1603-1868)the sea came right up to these parts,and its approach road was beautifully lined with cherry trees,under which throngs of pleasure-seekers would gather to gaze at the blossoms.
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